俳句
- スミレ
- 2024年10月11日
- 読了時間: 3分
こんにちは。つい最近まで猛暑だったのに、いつの間にか涼しい季節になりましたね。確かに10月半ばだし、昔は10月になれば涼しかったのですが、5月頃から10月頃まで猛暑が続き、一年の半分が猛暑になる年になっています。なんとなく春と秋を感じる時間がかなり短くなった気がします。
今日は秋の話題として正岡子規について書きたいと思います。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 日本の有名な正岡子規が残した俳句の一つです。
俳句には2つのルールがあり、「五・七・五」の17音で詠むこと 2つ目は、季節を表す「季語」を入れることになっています。
決まった音と季語を使うことでその周りの風景・雰囲気そして1年を通していつ頃なのかが頭に浮かぶことで実際にその時に行っていないにもかかわらず
俳句を詠んだ人と同じ共感を感じれる日本のいい文化です。
「俳句」は江戸時代に盛り上がった「俳諧(はいかい)の発句(ほっく)」の前後を取って略した言葉だと、考えられています。
明治時代になり正岡子規(まさおか・しき)の起こした「俳句革新運動」によって広く知られるようになりました。
「俳諧の発句」は、たんに「発句」とも呼ばれます。乱暴に言ってしまえば、江戸時代に活躍した松尾芭蕉(まつお・ばしょう)
や与謝蕪村(よさ・ぶそん)、小林一茶(こばやし・いっさ)の作品がそれです。
話を戻して正岡子規が残した俳句で好きなものの一つ
君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く
これは、正岡子規の親友 秋山真之が共に学生時代を過ごし旅立つ友人が夏にアメリカに留学する際に送ったときの言葉です。
思うことがあるというのが、いろんな思い出を全て表し、蚊帳で泣く とても切なく類似な思い出を重ね、とても共感できます。
他にこういうのもあります。
糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
この句は、1902年9月19日、正岡子規の臨終間際に詠まれたもので、彼の晩年を共に過ごした夏目漱石に捧げられたものです。
糸瓜(へちま)は夏
痰のつまりしという表現は、子規が長い闘病生活を送っていた際の肺結核による苦しみ
仏かなは、死を目前にして自らを「仏」として捉え、死後の安らぎを予感させる表現
正岡子規が夏ごろに病で苦しいとき、自分の寿命を悟った時に作った俳句で、夏目漱石に大きな影響を与えます。これ以降の作品で
死に関わる表現が大きく変わったと言われています。
正岡子規が残した文化である「俳句」 これからも残してほしい文化の一つです。
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